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RUN

B'zの30周年ライブのチケットを逃してしまいました。
なぜかアルバムツアーは行けるのに記念ライブは逃してしまいます。
普段の行いでしょうか?

とは言え20周年の時に入社したので自分も6月16日?で10年になります。
B'zは30周年。Jリーグは25周年、ガンダムは40周年だそうです。
めでたいですね。

前の仕事を辞めたあと募集してるのかさえも聞かずに
『すみませ~ん、やっぱり帰ってきました』とへらへらと履歴書を直接門真元町店に持っていった
ことから始まり研修で入ったのは当時御幣島でチーフ兼任店長として君臨していた北條さんの下でした。
まず強烈なインパクトを与えられたのが始まって一週間しか経っていないうなぎの予約の件数でした。
100件越えてました。
前職が飛び込み営業だったので尚更その販売力にびっくりしました。
店舗体制自体も『こうあるべき』という姿をしっかりと見せてもらえたのがその後にずっと続く
ゴールイメージとなりました。とにかく仲がいい。だからこそ言い合える。だからこそ信頼し合える。
そんな店でした。
そうこうしている間にその次の引継ぎ店舗への店長着任が決まり同じようなタイミングで
当時5店舗全部回ろうと北條さんの車でぐるぐる回りながら挨拶をしていきました。
そして当時の門真沖町店に同じタイミングで入った社員がおり、自分より着任先に赴任して直営になっている
店舗へ入り込むような予定になっていました。
そこで北條さんが『〇〇さんはあれやね。Cactusの野茂になってもらいたいね』
直営店舗で会社の代表としても認められる第一人者になってこいという使命を与えていたので
すぐさま『あ、じゃあ僕がイチローですね??一番結果出す的な』と返しておきました。
それから東大阪花園桜通り店で初めての店作りが始まるのですが
まあ、夜勤を中心に辞める辞める(笑)
同い年の北田さんがいた沖町にFF販売1個でも負けてるなら『ちゃんと作ってんの?!声かけ100%やってんの?!負けるとかありえへん!』と怒号が舞い(ちなみに平均売上は10万近く負けています。)
ルール違反はいかなる理由も認めない、と辞めるには十分な理由が満載でした(笑)
元々は自分の名誉が欲しくてやっているわけでもありませんでした。
いつかその店を離れて自分のやりたいことやった時、当たり前に社会人になった時に一番に認めてもらえる人になって
欲しいと願いやってたものでしたが当時の自分には言葉も色んなものも足りませんでした。
そんなこんなをずっと支えて色んなものを教えてもらった中嶋SVもちょうど会社とのお付き合い10周年。
今期は会社のコンサルとしてまた支えてもらっています。
そこで教えてもらったことに興味を持ち実践していくことで第一期のSC研修へ北條さんや北田さんと一緒に受けれるように
なりました。
そのままの勢いで出世していくのかと思わせつつ次の店舗の鶴見浜四丁目店で最初からチーフ兼任店長で始まり
見事にMSを落として北田さんと仲良く一発降格して以来チーフという言葉を聞いていません。
華の57年組です。キレる17歳世代です。
そこからは上新庄立て直し、外環東大阪善根寺の新店立ち上げ、今福鶴見駅前引継ぎ、桜通り南新田の兼任、大日立て直し、鶴見浜クローズ、御幣島駅前立て直し、加島三丁目引継ぎ、深野五四兼任、深野四、大宮五引継ぎ、大日門真大橋兼任、大橋、佐太東引継ぎと店長人生は続いていきましたが全部書くと本が書けそうです(笑)

その間はずっと自分との闘いでした。
同じタイミングで降格した北田さんはすぐ復権して自分は新店立ち上げ、立て直し。
何が違うのか?他の人にはできない自分だからこその今だと納得させようとしてもやっぱり納得いくものでもなく
じゃあ、数値で結果だしてみよう、結果出せてない店舗で目標達成できる店にしてみようとかMSトップ取ってみようと
ぐるぐるぐるぐる色んなことをしましたが上がることはありませんでした。
毎月100件ポイントカード獲得するような店舗を作るとその後新人店長として着任した福森さんが褒められていました。
てやんでい。

今でこそその間にもがいてもがいて作った引き出しをみんなのものにしたいと今の役職をもらいましたが、
やっぱり人手不足な現状の中シフト要員になりがちです。提案力、打開力がまだまだ足りません(笑)

どぎついイメージがつきがちですが本当にそれだけなら自分がいなくなった店辞めたあとにメールくれる子もいないし、
学校卒業してからでも連絡くれる子もいないし、誕生日になったらおめでとうを言い合える子もいないと思います。
とはいえ、嫌われてもいいから後から成長に気付いてもらえたらいいという考え方も最早時代遅れです。
最初の方も全体予算作らせてもらっていて当時は5億6憶くらいだったものが50憶に届きそうなものにまで会社自体が成長してきたようにこれからも自分も成長していかなければいけません。

人は我慢の限界を超えると血流が止まってぶっ倒れるのかという気付きがあるくらいには走り続けてはきました。
20代で畑耕して、30代で種まいて、40代で育てて、50代でようやく刈り取り。
10年間これだけやってきたという自信と誇りはちゃっかりと胸にしまって、ここにいてトップランナーで走り続けるからこそ
見える景色をこれからも会社と一緒に見ていこうと思います。なかなかありません。どの瞬間も。

めっちゃ長くなりました。

書き込み 濱田
2018-05-15 : 未分類 : コメント : 3 :
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非公開コメント

No title
すばらしいですね。能ある鷹は爪をかくすと思います。
2018-05-28 18:10 : sakura URL : 編集
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2018-05-28 11:52 : : 編集
間違いなく今のキャクタスを支え続けた功績は大きいですね ありがとうございます。その歴史を入ってきた社員達に伝えていく大切な役割に期待してます。キャクタス魂を語るにあまりある経験をしてるからね。
さらに先の景色を一緒に見よう!
2018-05-18 12:19 : 松永 URL : 編集
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